第6回   2007.may.3                      金子信造

 安倍内閣の柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言が物議を醸している。人体を機械だと考えるのは、西洋の伝統思想である。近代哲学の祖と言われるデカルトは「人間論」で人間の生理機能の全てを完全に模倣できる機械人間をえがき、生物と無生物とには本質的な違いがないと考えていた。

 西洋近代においてガリレオが「宇宙という書物は、数学という言葉で書かれている」といい、デカルトが解析幾何学をつくり、この基礎の上にニュートン、ライプニッツが微分積分学を確立させた。それを引き継いで現在、宇宙の構造は時間、空間、物質=エネルギー(原子爆弾がこれを実証した)の三つの構成要素で記述されて、そのために用いられる数学量は瞬間値、微分値、積分値の三つである。

 ガリレオ,デカルトに端を発して、力学を筆頭とする自然科学に目覚しい発展が齎された。これが産業技術と結んで人間の地球への支配力を一気に開花せしめた。そしてコンピュータが発明され、機械がコンピュータで操作されるようになると、脳をコンピュータになぞらえて、身体は全て脳の指令で操作されているとまで考えられるようになった。

 人工知能(AI)開発を目指す科学領域を認知科学と呼ぶ。私は65歳までメカトロニクスの企業で機械の制御システムの仕事をしていた。仕事の作業手順をコンピュータにプログラミングすれば、機械はその作業手順どおりに作業する。これは今流行のチェスやその他のゲームなどでも、問題の起こる範囲が限られている課題処理では、どんなに複雑に見えても、その範囲で起こる状態(例えばチェスの駒の配置)の完全な目録が作れれば出来ることである。ところが範囲が無限定な、言い換えると対応すべき状況が変化・流動している現実世界では,機械が次の動作を選択するのに時間がかかりすぎて,殆ど無力なことが露呈した、これを認知科学のフレーム問題という。しかも例えば容器に蓋をする機械では、所定の蓋がなければ作業を遂行できないが,人間ならば他の蓋を探してきたり、ラップで代用するなど、作業過程ではなく課題の意味に沿った措置が出来る。今ではロボットもセンサーなどの知覚機能と、運動機能とを中枢機能を介さずに繋げる事によって、生物の行動に似たものが現れ始めた。又ロボット・スーツのような人間の意味判断能力と出力とを結ぶことでフレーム問題の壁を越える方法もある。さらに自ら学習し知能を進化させるヒュ―マノイド・ロボットが出現しつつあり、自立型ロボットといわれる。ソニーや本田がサッカーをするロボット・チームをつくり、嘗てチェス世界一のゲーリ・カスパロス氏にIBMのコンピュータ「ディープ・ブルー」が勝ったように、人間世界一のチームに勝利することを目指している。

 ところで「人間的なロボットにとって残念なことに、コンピュータには、人間にとってはもっとも自然な、見たり,聞いたり、ものを操作したり,言葉を学んだり、常識に従って考えることを試みるのが、一番の苦手である。機械は人間にとって難しいことを楽々こなし、我々にとってやさしいことが下手である」「今から考えると、この対立は驚くべきことではない、最初の多細胞動物が十億年ほど前に誕生してから、領域、植物、伴侶などの限られた資源をめぐる激しい競争で生き残ったのは、不十分な認識から最も速く適切な行動を選べる動物であった。人類の脳の高度に進化した感覚と運動の領域には、十億年もの間自然の中で生き抜いてきた経験が記録されているのである。私は、一般に「推論」と呼ばれている慎重な過程は、実は人類の思考の中で最もうすっぺらな表面のことで、普段は意識されていないけれども、ずっと昔からある、ずっと強力な感覚運動知識に支えられて初めてうまくはたらいているのである。と思う」「抽象的思考は、まだ多分十万年にも満たない歴史しかない新しい技巧である。人類はまだ抽象的思考を身に付けてはいない。これは本質的に難しいことではなく、我々には難しく見えるだけなのだ」(岩波書店.H.モラヴェック著.野崎昭弘訳「電脳生物たち」)

宇宙の相互作用が地球を生じ、地球の生命は地球が生み出した。(他天体からの飛来説があったとしても)生命は環境の中に生きる、その相互関係なしにありえない。人間にとっての食べ物,その他生きる為のものは、全て環境にある、人間も嘗ては食うばかりでなく、食われるものでもあったであろう。人間も環境の一部であり、地球と一つながりのものである。食ったり食われたり、栄養代謝をはじめ全ては地球の活動として一つなのである。   

中枢機構たる脳がはたしていることは、絶え間ない相互作用の変化・流動する、相互循環的一つものの世界に切れ目を入れることである。視覚について言うと、目を凝らして(凝らす=固定する)見ることによって、変化・流動に切れ目を入れ、時間を裂く。一つものの中から部分を取り出し、空間(=延長)を切り出すことである。ひとつものの変化・流動の現実世界を切り出したことで脳にとっては、時間・空間は事象の両側面として捉えられ、相対性理論によってその相互関係が決定されるのである。一つながりのものを分けることが、分かること(理解)である。微分積分は分けて理解する方法である。科学の基本は分析である。脳科学に付いては解説書や研究書がおびただしい、依拠すべき基本図書はこれだと言えないほどであるのは前回の分子生物学同様である。詳細はそれらに任せ、必要な議論だけ進める。

 人間の感覚器官は五感に分けられている。その内で味覚、触覚は近接感覚である。臭覚、聴覚、視覚は遠隔感覚である。なかでも視覚は「はなれてもつことである」(メルロ・ポンティ)といわれるように、ここにいて向こうのものを知覚する、それも近接感覚はもとより臭覚,聴覚にくらべても、一挙に事物を捉えるし、「視覚は視覚の想像的なものを持つ」(メルロ・ポンティ)というように現に見えているものを超えて予期したり、想像的に見る力がある。

これがこちら側(主観)と向こう側(客観)が分離していると解釈する契機であり、構成力(構想力)の基盤である。最近の心理実験で視覚は、他の感覚で捉えたイメージを修正する支配力があることが確認されている。但し五感は全て皮膚にその起源があることを忘れてはならない。つまり皮膚の触覚から分化したのである。人はもっと良く知りたいと思うと,見るだけでなく触りたくなる。単細胞生物には趨触性がある、例えばアメーバは固形あるいは液状の栄養物に出会うと、それを取り囲むように体を広げて取り込もうとする。つまり皮膚(表皮)が触れたものを判断し栄養には近づき危険からは逃げている。脳はもとより身体は細胞の寄せ集まりではない、もとは一個の細胞からつくられたのである。そうした内部相互関連にある身体も、それを包む皮膚も五感に分化する以前からの未分化の豊富な知覚を保有している。               (この項さらに次回に続く)

 

実技演習

@横面の鍛錬

 気勢ヲモッテ横面打チヲ導ク、(受)右足ヨリ一歩前進シツツ右手刀ヲモッテ敵ノ左横面ヲ打ツ。(仕)左足ヲ僅カニ左前方ニ踏ミ込ミツツ左手刀ヲ以ッテ敵ノ右手ヲ切リ払イ右手ニテ面ヲ打ツ。

 敵ノ右腕ヲ刀ト心得テ動作スルヲ要ス。             (開祖著「武道」)

A横面打ち四方投げ

手刀ヲ以ッテ敵ノ横面、若シクハ敵ヲ斜メニ肩口カラ切リ下ロス気持チデ打ツ。

相手ハ敵ノ出様ヲ知って敵ノ気ヲ誘イツツ、左足ヲ軽ク引キ敵ノ気ヲ抜キ、ソノ機ヲ逸セズシテ陰陽(水,火)ヲモッテ攻メ立テル気デ、敵ノ右(或ハ左)ノ手首ヲ手前ニ引キ掴ミ右手ヲ持チ添エテ左足ヲ大キク踏ミ込ミ右ニ転ジツツ陰陽ノ理道ニテ敵ヲ右前ニ投ゲル。

 

 丁度敵ノ全力ヲ我ガ戦イノ理法ノ道ニ集メ拍子ヲ取リツツ水火ノ現幽妙理ヲ起コシ左側ヨリ薙ギ、正中ヲ突キ破リ又転化シテ敵ノ右後ロヨリ切リ払イ殲滅サスベキ戦法ノ一片ナリ。

 斯カル兵法ノ下ニ此ノ横面動作ガ毎日畳ノ上デ行ワレルノデアル。

 又巧ミニ地区地物萬有ヲ利用シテノ戦法ト心得ルヲ要ス。宇宙剣ノ法線タル兵法ト口伝ガアリ、稽古ノ際伝エルベシ。

 又右手拇指ニテ脈部ヲ制スルハ肝要ナリ。             (開祖著「武道」)

B横面打ち入り身投げ

 (仕)気勢ヲ以ッテ横面打チヲ導ク(受)右足ヨリ一歩前進シツツ右手刀ヲ以ッテ敵ノ左横面ヲ打ツ。(仕)左足ヲ僅カニ左前方ニ踏ミ込ミツツ左手刀ヲ以ッテ敵ノ右手ヲ切リ払イ右手ヲ以ッテ面ヲ打ツ。(仕)次イデ深ク入リ身ニ入リツツ右手刀ヲ以ッテ敵ノ右手刀ヲ右下ニ切リ下ロスト共ニ左拳ヲ以ッテ肋ヲ突キ、更ニ右手ヲ以ッテ敵ヲ倒ス。

(開祖著「武道」)

C横面打ち一教

 敵横面ヲ打チ来タリシ時。

 入リ身投ゲノ要領ニテ入リ身ヲ行イタル後、右手ニテ敵ノ手首ヲ下ヨリ握リ、右足ヲ引キツツ第一法ヲ応用ス。                      (開祖著「武道」)

D横面打ち二教

                                       了

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