第11回    2007,Oct,4                  金子信造

あがたゐのうしの御さとし言 (「玉勝間」二の巻(本居宣長))

 宣長三十あまりなりしほど、県居大人(あがたゐのうし=賀茂真淵)のをしえをうけ給はりそめしころより、古事記の注釈を物せむのこころざし有りて、そのことうしにきこえけるに、さとし給へりしやうは、われももとより神の御典(みふみ)をとかむと思う心ざしあるを、そはまづからごころを清くはなれて、古へのまことの意(こころ)をたづねえずばあるべからず。然るにそのいにしへのこころをえむことは、古言(いにしえごと)を得たるうへならではあたはず。古言をえむことは、万葉をよく明らむるにこそあれ。さる故に、吾はまづもはら万葉をあきらめんとする程に、すでに年老いて、のこりのよはひ、今いくばくもあらざれば、神の御ふみをとくまでにいたることえざるを、いましは年さかりにて、行きさき長ければ、今よりおこたることなく、いそしみ学びなば、其心ざしとぐること有るべし。

ただし世の中の物まなぶともがらを見るに、皆ひきき所を経ずて、まだきに高きところにのぼらんとする程に、ひききところだにうることあたはず、まして高き所は、うべきやうなければ、みなひがごとのみすめり、此むねわすれず、心にしめて、まずひききところよりかためおきてこそ、たかきところにはのぼるべきわざなれ。わがいまだ神の御ふみをえとかざるは、もはら此ゆえぞ。ゆめしなをこえて、まだきに高き所をなのぞみそと、いともねんごろになん、いましめさとし給ひたりし。

此御さとし言の、いとたふとくおぼえけるままに、いよいよ万葉集に心をそめて、深く考へ、くりかえし問ひただして、いにしえのこころ詞(ことば)をさとりえて見れば、まことに世の物しり人といふものの、神の御ふみ説ける趣は、みなあらぬから意(こころ)のみにして、さらにまことの意はええぬものになん有りける。( ( )内は金子が挿入、この回では宣長の文は以下同様、古文とはいえ明快な文で高校生でもこのまま読めると考え解説はしない。)

 

         古記典等総論(いにしえぶみどものすべてのさだ) 

仰(そも)意(こころ)と事(こと)と言(ことば)とは、みな相称(あいかなえ)へる物にして、上代(うはつよ)は、意も事も言も上代、後代(のちのよ)は、意も事も言も後代、漢国(からくに)は、意も事も言も漢国なるを、書紀は、後代の意をもて、上代の事を記し、漢国の言を以(もちて)、皇国(みくに)の意を記されたる故に、あひかなはざること多かるを、此記は、いささかもさかしらを加へずして、古(いにしへ)より言伝えたるままに記されたれば、その意も事も言も相称(あいかない)て、皆上代の実(まこと)なり、是もはら古(いにしへ)の語言(ことば)を主(むね)としたる故ぞかし、すべて意も事も、言を以て伝(つたふ)るものなれば、書(ふみ)はその記せる言辞(ことば)ぞ主(むね)には有ける

 

         古言(いにしへのことば)をしらでは  (「うい山ぶみ」)

 古言をしらでは,古意(いにしへのこころ)はしられず、古意をしらでは、古の道は知(しり)がたかるべし

 

 私たちは、宣長の「古事記伝」のように「皇大御国(すめらおおみくに)は、掛けまくも可畏(かしこ)き神御祖天照大御神(かみみおやあまてらすおほみかみ)の、御生座(みあれませ)る大御国(おおみくに)にして」(「古事記伝」一の巻「直毘霊(なほびのたま)」)のようには「古事記」を読まないけれど、我が祖先のこころ、自らの原点は倭言(やまとことば)に探求せねばならない。次回は古語(いにしへのことば)、五十音(いつらのこえ)、七十五音(ななそいつつのこえ)等をできるだけ原典で我が40年の覚え書ノートから引き出して示したい。開祖の言霊が仄見えてくるのではなかろうか。

 

実技演習

横面打ち

 取は気勢をもって、受けの横面打ちを誘う、打ち込んでくる受けに三角に踏み込み受けの横面を切り下ろしムスブ、受けの重心を我が丹田に包み取り制す。このムスビの内実が、横面打ちの形を決めている。ムスビにならない横面打ちの形では稽古にならない。内実が正しい形を決めるのであって、その逆ではない、ところがムスビの自覚がないと、形ばかり追うことになる。ムスビがなければ、取は、受けを制していないのだから、受けは容易に反撃でき、例えば取に当て身することが出来る。

 合気道の稽古は全て、ムスビ=心神合一すなわち取受けともに触れ合いのなかに、身体知のはたらき、ことばにできないが(理由は再三既述)神の智のような、敢えて言えば神のあらわれの「なるにまかせる」心身状態の会得にある。

 この神とは、超越的存在ではなく、自然=宇宙の意味である。やがて日本の神々についての論で述べる。



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