32回    2009Sep.03.    金子信造

  刀の運用

@     正面打

 両手で刀を執り、中段に構える、要点は、自分の正中線前で、右こぶしは臍の下一握りくらい、剣尖は相手の喉の高さでその延長線が相手の左目につくようにする。右半身で右足はつま先を正面に向け(相手の中心軸に向け)、左足は約30度ほど左に開き、体重は両足の足心(脛骨の真下)に平均に落とし右足を半歩ほど前にし、両踵は地を踏む。

 左膝を抜くと左肩甲骨が引かれ、右脚が振り出され、骨盤(仙骨)が立ち胸骨が開き、息が吸われ、右肩甲骨が前に押し出されるのにあわせて、刀を振りかぶる、右足を地を摺るように半歩ほど前に進めて着地し、右踵に重心を乗せて、骨盤(仙骨)がやや前傾し胸骨が閉じ息が吐きだされるのにあわせ、両手の力が平均して刀が相手の面にあたるように、右腕を十分に押し切るように伸ばし、左手は自分のほうに引き付けるように刀を切り下ろす、右手を「押し手」といい、左手を「引き手」という。左右の力を平均し、茶巾絞り(内側に)することで、刀の刃が左右に偏ることなく真っ直ぐに切る。

A     横面打

 左半身で中段の構えから、左膝を抜き、右脚を約一歩右斜め前に踏み出し、刀を振りかぶり、相手の左面を斜め左下に切り下ろす。運足、呼吸、手の内など正面打に準じるが、切り下ろしの時、右足のつま先と右ひざが相手の中心軸に向いていなければならない。これは袈裟切りであり、刃筋が充分に返らず平打ちになりやすいので手の内は留意しなければならない。

 手の内について、竹刀の叩きあいや、木刀の素振りなら、力の配分を左手7分、右手3分とか、柄の握りを左拳と右拳を一握りほど開けるとかが操作しやすいのだろうが、刀は切るものであって叩くものではない、据え物切りや仮票(畳表を濡らして巻いたもの)切りをしてみれば、腕の力は平均で、拳は前後を開けず接するくらいで、握りも力は入れないが柄に手のひらが密着し、すかないようにしなければ(人差し指を立てて隙間をつくる人が多い)、物打(切っ先3寸くらいのところ)が切りこんだとき曲がらずに素直に刃筋がたたねばならぬのに、偏って入り、刀が曲がってしまったりする。実際に経験することは今の葛飾の稽古ではなくなってしまったが、立石の体育館の時代には、清野先生の指導で機会は多いとは言えなかったがあった。(立石の体育館でも一定時間、木刀の稽古があったけれど、先生の経営なさっている小倉台や穴川道場でのほうが剣の稽古は多かった。山根先生の杖の指導も穴川で行われていた。)

 

 懐古談になるが、清野先生が青竹の両端を紙テープの輪に通して横たえて吊るして、木刀で紙テープをそのままに、竹を二つになさったり、渡辺勝太郎さんが余興に左手に割箸を持ち、右手に持った名刺で割箸を切って見せたり、濡れ手拭いを棒状につかって板を割ったり、棒を折って見せたりが直らえ会などで度々あった。当時、林会長が日本刀を数振り所持していて居合を稽古したり鑑賞したり、懐かしい思い出である。

 ともあれ徒手であろうと手刀やその切り下ろし、二教、三教、四教の握りの手の内はこうした会の気運の中で学んだものだった。

B     刀の無限に多様な運用

 構えについては中段、上段,下段、八双そして脇構えと、切り方については真っ向(頭頂から丹田まで真っ直ぐ上から中心線を切る)、右袈裟、左袈裟、右逆袈裟、左逆袈裟、右水平そして左水平と、更に突。押切、引き切りの微妙な変化、そしてそれらを組み合わせた技に至っては無数・無限といえる。@の正面打ちからしたら見た目では、かけ離れて見える例えば「水返し」(流派によって呼び名は違うが、左逆袈裟で切り上げて倒れる前に、右から水平に胴を切る)なども運足、手の内を正面打で学び身につけることで、その変化として習得される。Aの横面打ちも同様である。

 徒手での横面打ちができる人は少ない、まず大抵は正面打ができないのだから当然と言える。徒手でこれらを学ぶのはとても難しい。手足の自由度が大きくて身体が動きの道筋を選べない、感得し辛いのである。木刀を持てば、振ってみて木刀がその自然な道筋を教えてくれる。力強く振っては、自分の筋力で振ることになるから木刀は教えてくれない、自分が振るのだという我を捨てる気持で、ゆっくりと木刀に行きやすい道を教えてもらうのである。正面打がマアマア出来てきたら、横面打を習えばよい、急ぐことは決して良い結果を呼ばない。ここは積み重ねが大事なのである。今、定時の稽古後の30分有志で杖、木刀の素振りや、気むすびの太刀、一の太刀から五の太刀の組太刀の研究稽古をしている、自然の気を体感し、自ずからなる動きを探っている、同志の参加を望んでいる。

 

 

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